なんだこれ?!サークル についての

コメント

自分だけのなんだこれ?!を見つけて、かたちにすること

えりか(初代なんだこれ?!サークルメンバー)

私がなんだこれ?!サークルに参加したのは小学6年の時。当時はまだ肩にコアラを乗せていたぶっちーブチョウと、同世代の女の子たちと、わいわい変なことをするのが楽しかったのを覚えています。

いろいろ楽しかったけど、最初に「わぁ」ってなったのは、大きな紙に体当たりして破る人の動画を見たこと。おじさんが紙を破ってるだけなのに、それがめっちゃかっこよく、そして面白く見えました。その時「なんだこれ?!ってこういうことだったのか!」ってて気付かされました。紙を破るおじさんのように、普段自分たちが何気なくやっていることや、学校の先生からくだらないと言われてしまうことも、少し見方を変えて真剣に取り組めば、なんだこれ?!になりうるということを知りました。自分が見つけたものをなんだこれ?!と思うこと。それを自分なりの形で追求すること。それがなんだこれ?!サークルの楽しさで、面白さだと思います。

自分は今もなんだこれ?!が結局何なのかとか難しいことはわかっていないけど、なんだこれ?!を楽しむ感覚が身についたのか、活動が終わって何年も経って社会人になり仕事をしていても、なんだこれ?!と思う瞬間がたくさんあって、楽しく面白く過ごせていると思います。

なんだこれ?!はアートとの付き合い方そのもの

小島 剛(大阪府立江之子島文化芸術創造センター アートコーディネーター )

このワークショップは、作品をつくることを目的とはしていません。最終的に何らかの形となり鑑賞できるかもしれませんが、それまでの過程は、参加者と共に考え議論しながら進めるため、どのようなコトやモノがつくられるかは参加者に委ねられています。

では、一体何をしてくれるの?と思われるかもしれません。私たちが用意したのは、何かを考えたり行動を起こすきっかけ(アーティストに出会う機会や、作品や言葉を紹介する)を提供すること、そしてそこから触発され生まれた考えや思いを、シェアし育てていく場を、同じ参加者として共につくることです。その環境の中で、参加者がどのように振る舞うか(例えば、アイディアを出す、それを実現する、ただひたすらみる、それらを更新するなど)も、その都度自分で選択してもらいます。それらを繰り返すうちに自然と、これはいったいなんだろう?と日常のあらゆるところから疑問を見つけ、それを思考し他者へ伝え、批評/議論しながら深めていくことが、当たり前になっていきます。

その行為は、実はアート作品をつくったり鑑賞すること、アートとの付き合い方そのものだと思います。そんな思考が癖になるワークショップが「なんだこれ?!サークル」。今年もたくさんのメンバーが集まることを、いちメンバーとして楽しみにしています。

YouTuberになりたい君へ

中脇健児(場とコトLAB)

「こどものためのアート入門プログラム」という雰囲気だけど、なんのどっこいアートの批評か評論しちゃってるんだよね、これ。歴史や作品や作家をたくさん知っていることで語られてきた内容をわかりやすく体験できるようにしているんじゃなくて、そもそもアーティストという人たちの「目のつけどころ」や観る人を「びっくりさせるしかけ」を種明かししちゃってる。

今まで「作家性」や「芸術」と言われていた”魔法”を「なんだこれ?!」と言い換えて”手品”にしてしまった。それこそ「その手があったか!」な目のつけどころで、ニヤリとさせるから頭の良い人たちも受け入れてくれているし、さらにわかりやすく誰でもできるようにしちゃってる。

え?じゃあ、アーティストの人たちや、アートのすごいところって結局なに?なんて疑問もよぎらせるところがまたズルイ。継続的にやり続けなきゃいけないことの大変さは、YouTuberが実のところ、めちゃめちゃしんどい、なんてことをコロナでみんながYouTubeやり始めて気づいた、ということと一緒なんだろうなあ、とも思わせるところが、やっぱりアート大好きぶっち部長なんだな。

多様であるはずの世界で成長していくために

水田美世(なんだこれ?!サークル とっとり マネージャー )

「ブッチーぶちょう」こと岩淵拓郎さんに「なんだこれ?!サークル」の話を聞いたのは2017年の初めの頃。えげつない器用さでスマートにやんちゃする大人な岩淵さんが、あえて子どもとやるサークルに興味深々でした。

その頃は幼稚園児だった私の息子も、今や小学生。迷いなく我が道を行くタイプの彼は学校の仕組みになじまず、本人はなかなかつらい思いをしている様子です。いろんな人がいる(むしろいろんな人でしかありえない)ことは昔よりもずっと周知されてきてはいるけれど、目立ったりはみ出たりするとそれはまだ問題として意識されます。でもそれって「誰にとっての」問題なのでしょうか。新しい視点や創造性のかけらを無視されたまま、彼らを大人にされてしまっては大変です。

息子と学校との関係を目の当たりにし、不覚にも一瞬怯んだ私にとって、「なんだこれ?!サークル」は今いる場所をぐっと踏みしめ、そして前に進むための大きな支えです。

誰でも一員になれて、ひとりひとりを大事にする

中島香織、大井卓也(一般財団法人たんぽぽの家)

薬の殻をなん千個も集める人、ペンをセロテープでぐるぐる巻きにする人、毎日コピー機で自分の顔を印刷する人…私たちが日々接している福祉の現場ではおもしろいことがたくさん起こります。おもしろいんですけど、考えてしまうときもあります。このままにしといて大丈夫かな?これって問題行動ってやつ?など。私たちは「なんだこれ?!」をそのままにしておけない性分になってしまっているのかもしれません(当たり前ですが、そうでない人もたくさんいますよ)。

そんなときに「なんだこれ?!サークル」です。いつも自分のまわりにいて、かっこいい、おもしろい、と思ってきた人たちは偉大なパイセンだったんです。あ、でもなんかそれって「あなたたちのこれ、なかなかおもしろいですよ、アートですねえ」って、誰かに認めてもらえて、うれしがってるみたいにも思えます。でも、「なんだこれ?!」ってそうじゃないと思うんです。つまりは、自分たちの見方、心がまえを問われているなあと思うんです。

誰でもサークルの一員になることができて、障害のあるなしとか、アートがどうとかとっぱらって、全員が大まじめに、こだわりや癖とも言えるかもしれないアレコレの、ひとつひとつを楽しみ、愛でる。ひとりひとりを大事にする。これって、福祉のめざしているところに、とっても近くないですか?

固定観念としてのアートワークショップをすり抜ける

宮浦宜子(食卓ディレクター/芸術家と子どもたち理事)

10年ほど前まで、学校や地域コミュニティにおける、子どもを対象としたアーティストによるワークショップをコーディネートしていた。目の前の生身のアーティストの存在と表現に触発されて、子どもたちも安心して、普段とは違う新しい表現を試みる。そして、その過程で他者との違いに気づく。現場で、様々な瞬間を目撃してきた身としては、こういう機会が子どもの育ちに与える価値を十分に理解している。一方で、子どもたちは本質的な意味で「アート」を経験できているんだろうか、とモヤモヤしてしまう気持ちもどこかにあった。

現場を離れて数年後、はじめて「なんだこれ!サークル」の告知を見たときに「ああ、こんなやり方もあったか!」と、あの頃のモヤモヤが晴れるような気がしたのを覚えている。アートという言葉は出てこないし、講師はアーティストでもない。まさかの教科書があり、その中ではジャンルもごちゃまぜに、表現を類型化してしまっている!「なんだこれ!サークル」は、いわゆる「アートのワークショップ」の固定観念からするりと逃げながら、結果として、子どもたちには、自覚もないままに、アートの成立、みたいなことを体験させてしまうんじゃないか。

一見不真面目のように見えて、実はものすごく誠実な「アートのワークショップ」なのではないかと思っている。